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SFの中のロボットたち(3)

■SFの中のロボットたち~カラクリとロボット

 では、日本においてロボットとはどんな存在なのでしょうか。ロボットという言葉が日本に入ってきたのは明治時代ですが、日本ではそれ以前にからくり人形という形でロボットを具現化しています。つまり、日本人の心の中にロボットを受け入れる土壌ができていたのです。ロボットという言葉が生まれた6年後の1926年には、西村真琴が「学天則」というロボットを発表しているほどです。

 日本人のロボット文化が花開くのは、昭和に入ってからです。小説よりも漫画やテレビドラマでロボットが登場し活躍するようになります。海外ではロボットがしばしば恐怖の対象として描かれていましたが、日本では多くの場合完全に自我を持った楽しい友達として描かれていました。からくり人形を知っていた日本人にとって、ロボットは未知の恐ろしいものではなかったのです。(もちろん、多くが子供向けであったから、という理由もありますが)

鉄人28号 原作完全版 1 希望コミックス そうした状況の中で生まれたのが横山光輝の『鉄人28号』と手塚治虫の『鉄腕アトム』です。(鉄人28号は1956年連載開始、鉄腕アトムは1951年連載開始)鉄人28号では、まさしく「良いも悪いもリモコン次第」で、善にも悪にもなりうる道具としてのロボットを描いています。また、巨大ロボット対巨大ロボットという図式を確立させ、その後、マジンガーZ(人間が搭乗するロボット)や機動戦士ガンダムなど、現在に至るまでの巨大ロボットの系譜を生み出しました。(この系譜を辿るだけでも、本が一冊できるほどです)

鉄腕アトム (1)手塚治虫漫画全集 (221) 一方、鉄腕アトムでは人間とともに笑い泣き、そして悩む友達としてのロボットを描きました。人間になりたかった人形『ピノッキオ』をモチーフとして生まれたアトムは、ロボットと人間の狭間で苦しみ、テレビアニメの最終回では人間のためにその命を捧げます。手塚治虫は、ライフワークである生命をテーマにしたシリーズ作品、『火の鳥』の中でもロボットを登場させてます。手塚治虫は、鉄腕アトムでロボットの命、魂というものを描こうとしていたのではないでしょうか。
 苦悩するロボット、という流れを考えれば、善と悪の心のせめぎあいに苦しむ「ジロー」(石ノ森章太郎『人造人間キカイダー』)、アイデンティティに悩む(大抵は能天気ですが)「如月ハニー」(永井豪『キューティーハニー』)などがあります。まぁ、まったく悩みと無縁の「R・田中一郎(R・28号)」(ゆうきまさみ『究極超人あ~る』)や「則巻アラレ」(鳥山明『Dr.スランプ』)のようなロボット(アンドロイド)もいますが……。

 ともあれ、日本におけるロボットの存在が欧米とは異なり、非常に身近であり恐怖の対象ではなかったことは日本にとってとても良いことだったのではないでしょうか。例えば、本田技研のASIMOが『アトムを作ろう』という発想から生まれたことは有名な話ですし、そのほかにも鉄人28号や鉄腕アトムに影響を受けた科学者・技術者は少なくないでしょう。それが技術立国・日本の(今現在の)駆動力になっていると考えるのは飛躍しすぎでしょうか?

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