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それでもボクはやってない

 109シネマズMM横浜にて『それでもボクはやっていない』を観る。

 ある日突然痴漢と間違われた青年が、否認を貫いたことで起訴されてしまう。現代における司法制度の歪みを冤罪事件を通して描く問題作。「シコふんじゃった」「Shall we ダンス?」の周防監督11年ぶりの監督作品。

 平日にも関らず、1/3~半分ほどの客席が埋まっていた。中高年以上の観客が多かったのが興味深い。隣の席に座った老人夫婦も席を間違えるなど映画館に慣れていない感じだったし、それだけ一般の人の注目を集めているということか。

 最初の方に管理人役の竹中直人がちょっと笑わせる程度で、後半は笑えるシーンはまったくないにも関らず全体に喜劇っぽいのは、余りにも一般的な感情とはかけ離れた裁判劇が滑稽に見えたからかも知れない。中盤からは主人公に感情移入してしまい、理不尽な裁判の様子にやり場のない怒りを覚えてしまった。それにしてもフィクションとはいえ、『疑わしきは罰せず』という大前提は一体どこへいってしまったのか。ただただ怒りが沸いて来るばかりだ。取調べの刑事に始まり、検察官、判事、検察側証人など登場する様々な人間が悪人に見えてしまう(またそのように描いているのだろうけれど)。主人公に感情移入していると、その場に行って片っ端から説教してやりたくなる。そして、主人公の無念さや孤独感を覚える。

 ある日、突然痴漢に間違えられるなんてことは、毎日通勤するサラリーマンならすごく身近な恐怖といえるだろう。ましてこの作品で描かれているように、警察、検察、そして裁判官までもが先入観を持ってしまっているなら、簡単に冤罪が生まれるのも当然だろう。否認しただけで家宅捜索までされて、AVまで晒されるなんてたまったもんじゃない。検察・警察は、ちゃんと物的証拠を提出するべきだ。なんのための鑑識か。なんのための科学捜査か。痴漢を立証するのがむずかしいのは重々承知だが、なんとかするのが警察の仕事じゃないか。

 痴漢する奴がいるから痴漢に間違われる人が出てくるわけで、痴漢と言う犯罪は本当に憎むべきものだ。だが一方で被害者の供述だけで罪に問われてしまうのは、法治国家としてどうなんだろうと考えてしまう。女性専用列車を「男性差別だ」という人もいるが、この映画を観たあとでは、「女性専用列車は男性を守るためにあるんだよ」と言いたくなる。

 この映画にカタルシスはない。
 それでもこの作品が投げかける問題は、多くの人が共有するべきだと思う。

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