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2016/08/05

シン・ゴジラ

 とりあえず思い浮かぶままに感想を書いてみる。基本姿勢としては、「こんなのゴジラじゃない!」という考えはなく、どんなゴジラでもゴジラという考え。あ、ジラースはゴジラじゃないよ。
さて、ネタばれ含むので未見の方はスルーされたし。
・初代ゴジラのエッセンス
 「シン・ゴジラ」を含め29作もあれば、当然これまでの作品との比較が行われてしまうのは道理であり、制作者側も覚悟の上だったろう。しかし、すべての批評を見たわけではないが、「シン・ゴジラ」の比較対象はすべて初代ゴジラだ。同じリブートであれば、平成ゴジラが引き合いに出されてもいいと思うのだが、そうならないのは、今作が巧妙に初代ゴジラを踏襲しているからだろう。言い方を変えれば、初代ゴジラのエッセンスを抜き出して上手いこと調理したのだ。
 たとえば、初代ゴジラがそうであったように、しっぽや背びれはチラチラと見せるのにゴジラの全体像がなかなか見えない、見せない。川に浮かぶボートが押されて、みたいな付随現象として見せて、ようやく姿を見せる。
 で、当然ゴジラが登場!と思ったら、アレですよ。観客のほとんどは肩すかしを食らう。怖い、じゃなく気持ち悪いモノ。たぶん、初代ゴジラを最初に見た人たちもそう思ったかも知れない。特に眼がキモイ。たぶん、第四形態になっても眼の大きさは変わっていないんじゃないかな?だから、バランスが悪くてキモイ。
 個人的には、太田、品川なんて青春時代を過ごした場所だけに、感慨深いものがあった。呑川横のきしめん屋に部活帰りによく行ったなぁ、なんてノスタルジースイッチ押されたり。と、話が逸れた。
・震災後の日本人
 初代ゴジラとの比較といえば、「大戦後」と「震災後」も挙げられる。初代ゴジラが原爆と空襲のメタファーであったように、「シン・ゴジラ」もまた、地震と津波のメタファーと考えられる(一回目の上陸後まで)。
 しかし、苦悩して最後は自ら死を選ぶことで自分の発明の兵器化を阻止した芹沢博士(の役回りをするキャラクター)はいない。むしろ、いちはやくゴジラを見つけてその危険性に気付き、対抗策まで考えていたのにそれを伏せ、「好きにしろ」と無責任に放り投げる科学者がいる。科学者という括りで見ると、善よりから悪よりへとシフトしている。劇場版パトレイバーのホバ・エイイチを思い起こさせる。
 初代ゴジラと違う点といえば、劇中での人々の対応だろう。初代ゴジラでは、一般市民はひたすら怯え逃げ惑う。ところが、シン・ゴジラでは、1度目の上陸から撤退した後、少なくとも東京の人間はすぐに日常の生活に戻っている。政府は二度目の上陸を想定して動いているのに、市民レベルでの避難やら対策は描かれていない。やはり、ゴジラが予測不可能な災害であるという印象付けるための演出だろうか。だとしても、海外の人から見れば、災害がやってきたのに対策を取ろうともしない日本人はどのように見えるのだろうね。
・「シン・ゴジラ」のジャンルは何か
 ゴジラ映画を「恐怖映画」と言ったのは、漫画家のとり・みきさんだったっけ?では、「シン・ゴジラ」は、何映画なんだろう?と考えた。怪獣映画、と言ってしまうと、怪獣プロレス的な意味合いも含まれてしまう気がするし、恐怖映画、ホラー映画も違う気がする。では、パニック映画かといえば、後述する理由でこれも違うと思った。
 敢えて言えば、シミュレーション映画とでも言えば良いだろうか?架空の前提を与えて、現実はどう動くのかを丹念に追った映画という意味で。うん、これもつまらないな。ゴジラを災害と捉えれば「ディザスタームービー(災害映画)」だろうか。だが、災害は対応・対処はできても、対抗は難しい。人間側が積極的にゴジラに対抗しようとしている時点で、ディザスターという枠組みからはみ出している。
 自分の中でもまだ結論は出ないけれど、「怪物映画」が一番近いかな?と思う。怪獣ではなく、怪物。ゴジラは怪獣というカテゴリーを抜け出して、怪物となったのではないか。後半の熱線を放射するシーンでの顎や、ラストシーンの尻尾の画でそれを強烈にすり込まれた。
・いくつか腑に落ちない点も
 映画は、エンターテインメントとしてすごくよくできていて、全編飽きること無く楽しめた。日本映画でもここまでできるんだ、といううれしさもある。
 でも、諸手を挙げて全肯定、全力推し!とならないのは、いくつか引っかかる部分もあるから。
 一番大きな点としては、「シン・ゴジラ」と銘打ちながら、これまでのゴジラを引きずっている点(特に音楽)と、庵野監督の出世作であるエヴァシリーズに引っ張られすぎている点だ。そもそもエヴァは特撮怪獣映画のオマージュだらけなので、ある意味先祖返り、温故知新なのかもしれないが、それにしても、だ。「ヤシオリ作戦」もエヴァの「ヤシマ作戦」にどうしても重なってしまうし。「シン」(真?新?)の名に相応しかったのか?と疑問に思わざるを得ない。
 それから、怪獣による恐怖の描き方が物足りない。たとえば、平成ガメラ第一作では、謎の生物による島民全滅→福岡襲来→日本縦断→首都決戦というように、少しずつ被害が増えパニックも広がっていくというじわじわ恐怖を煽るストーリーなのだが、「シン・ゴジラ」では、一度目の上陸では比較的人的被害も少ないのに、二度目の上陸ではいきなり大破壊で大量殺戮。じわじわと忍び寄る恐怖じゃなく、圧倒的な恐怖。それを良いと思う人もいるだろうけれど、個人的にはそのギャップに少しついて行けなかった。もう少し、放射能による恐怖でパニックになる人々といった演出があってもよかったかな?
 あとね、石原さとみの役はどうなの?まったく日系三世に見えないし、わざとらしい演技が、リアリティを追求している中で浮きまくっている。ある意味、ゴジラと同様にリアリティのない役どころだと思う。石原さとみ自身は好きなんだよねぇ。昔インチキ霊能者の役をやったテレビドラマとか面白かったしなぁ。アメリカ特使とかじゃなく、牧博士の助手とか孫とかの設定だったら良かったんじゃないかなぁ。
・ゴジラで表現するメッセージ
 映画は、己を映す鏡でもある。その映画にどのようなメッセージが込められているのかは、個々の観客に委ねられる。監督をはじめとする制作チームがどのようなメッセージを込めているのかに関わらずである。
 だから、「シン・ゴジラ」を見て、政治的なメッセージを受け取った人は、そうした人なのだ。自衛隊かっけー!と思った人は、普段から自衛隊かっけー!と思っているのだ。私も、自衛隊かっけー!と思ったひとりだし、特に前半の特撮、ミニチュアワークすげーと思った手合いだ。
 ぶっちゃけて言えば、庵野監督はメッセージとかあんまり考えていないんじゃないかな?とも思う。やりたいことをやった。それこそ「私は好きにした」で、「君たちも好きに(解釈)しろ」と思っているのではないだろうか。さて?

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コメント

自分の専門分野が素人いかのライターが随分上から目線で偉そうですね。

でも自分の仕事が批判されるのは耐えられなくて、逃げまわって嘘をつくんだよね。

庵野さんみたいな有名人じゃないでよかったね。
君が逃げまわっても世間の人間は殆ど知らないからね。

人様が時間をかけてやった仕事を50ズラさけげて、小学生レベルのオツムで批判するんだからね。
活きていて恥ずかしくない?

本当に自覚のない人間のクズって羨ましいよ。

投稿: 清谷信一 | 2016/08/22 19:37

落ち着いて考えたんだけどさ、アンタ、「清谷信一」を騙っているだろう?

それだと犯罪だよ。

何冊も著作があり、著名な大先生が、こんなことはしないよね?

やってることは、これ、とても見苦しいから、水野さん、IPアドレス持って、しかるべくところにいこうよ。

「軍事ジャーナリスト・清谷信一」の騙りなら、それこそ犯罪だ。

皆にとってよくない。

まさか本物の清谷さんが、こんなことはしないと信じたいが。

清谷氏の騙りなら、今後はこうした書き込みはやめようよ。

水野さんは警察とか弁護士とか、そういうところに行こう。

そのほうが、水野さん、清谷さん、この"騙り"も含めて為になる。

そもそも水野さんも、こうしたコメントを残すのは、ちょっと武士の情けとしてどうかなと思いますよ。

ブロックするのも親切というものです。

投稿: 名無し3等兵 | 2017/01/02 02:07

ネットストーカーとかそんな感じやね、この清谷信一さんて

投稿: w | 2017/01/04 14:48

こういう人がストーカー犯罪を起こすのでしょうね

投稿: 名無し3等兵 | 2017/01/05 00:02

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